日本のお金の歴史
お金の歴史をちょっと深堀り。日本のお金の歴史と時代ごとの世界で起きたことを比較!
通貨制度へ
1931年、兌換制度を停止しました。
1942年、日本銀行法により中央銀行は通貨の発行量を政策的に管理する「管理通貨制度」(現在の通貨制度)に移行しました。
1930年頃の世界:大飢饉ホロドモールが発生しました。マハトマ・ガンディーらによる抵抗活動が開始されました。
日本銀行誕生
1882年日本初の中央銀行、日本銀行が設立されました。
1885年、銀貨と交換できる兌換(だかん)銀券として、初の日本銀行券が発行されました。
1897年、金貨と交換できる日本銀行兌換券を発行し、金本位制を確立しました。
1880年頃の世界:切り裂きジャック事件が発生しました。パリ万博の開催とエッフェル塔完成も同時代です。
両から円へ
1871年お金の単位を「円」と金本位制(お金の基本が金貨)とした新貨条例を制定しました。
明治政府はそれまで出回っていたお金を回収し、新紙幣「明治通宝」を発行しました。
1873年日本初の銀行、第一国立銀行(現:みずほ銀行)が設立されました。
1870年頃の世界:メトロポリタン美術館が開館しました。
お金の統一
1601年国内のお金の統一を目指し、徳川家康が「慶長金銀貨」が発行されました。
1636年には銭貨(主に銅で作られたお金)「寛永通宝」を鋳造しました。
1670年渡来銭の使用を禁止し、国内鋳造のお金のみが流通する様になりました。
17世紀前半頃の世界:ロマノフ朝が成立しました。また、ピューリタン革命もありました。
金貨と銀貨の登場
16世紀半ば頃から、戦国大名は独自の金貨や銀貨を発行し、江戸幕府が統一銀貨を発行するまでの約150年間流通しました。
豊臣秀吉が作った「天正長大判」は縦17cm以上あり世界最大の金貨なのは有名です。
16世紀半ば頃の世界:システィーナ礼拝堂祭壇壁画『最後の審判』が完成しました。
渡来銭の登場
平安時代末期、中国との貿易で輸入された渡来銭が国内で流通しました。
交通機関の発達で地域の交流と取引が増加した結果、再び国内で渡来銭を真似たお金が作られましたが、統一された価値のお金ではないので混乱が生じました。
平安末期頃の世界:北アフリカの現在のチュニジア)で興り、のちにカイロに移ってエジプトを中心に支配を行ったファーティマ朝が断絶しました。エルサレム王国とアイユーブ朝のサラーフッディーン率いるイスラム勢力の間に起こったヒッティーンの戦いがありました。
お金の価値低下→物々交換に戻る
12種類もお金(皇朝十二銭)を発行したが、銅不足による質の悪化でお金の価値が低下しました。
958年「乾元大宝」の発行を最後に、その後約600年日本の公鋳貨幣は途絶えました。
950年代頃の世界:トンガがトゥイ・トンガによって統一されました。高麗では科挙制度が採用されました。
中国のお金をモデルに作った和同開珎(わどうかいちん)
708年、唐の通貨「開元通宝」をモデルに、「和同開珎」という銀貨と銅貨を鋳造。直径約24mm、中央に約7mmの正方形の穴があいています。
708年頃の世界:ウマイヤ・モスク(世界最古のモスクの一つ)が完成しました。中国では、中国史上唯一の女帝・武則天が死去しました。
最古のお金=富本銭(ふほんせん)
現在発見されている日本最古のお金は、奈良県明日香村飛鳥池遺跡で見つかった「富本銭」です。
約1400年前、7世紀後半に作られたとされています。
7世紀後半の世界:カルバラーの戦い、パカル王がマヤのパレンケに埋葬されました。
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